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フェリーニ

の映画を続けて2本も観た(BSで)、
「フェリーニのローマ」と「カリビアの夜」と。
今、中沢新一の「芸術人類学」を読んでいるところだが、
彼が「アースダイバー」で意図したことを
「フェリーニのローマ」は何十年も前にもっとラディカルにもっとエネルギッシュに映像として実現していたのだ。
潜在意識の奥深くから湧き出すローマのイメージが古代のカタコンベから直近の風俗まで無秩序の曼荼羅を形成する。
「夢は枯れ野をかけめぐる」というのを映像化するとこういうことになるのだろうか?
フェリーニにとってのローマのはなしだが・・・。

「カリビアの夜」には昔観たときとは違う違和感を少しだけ感じた。
世界が男と女で形成されている以上(否定する人もいるが)、この世の男の振る舞いはみなそれなりのダンディズムに支配されている。
フェリーニの創り出す男と女がぼくはとても好きだった。
坂口安吾のファルスとともに神話的でさえあると思っていた。
それなのにこの違和感はどこからくるのか。
恐らくは地球の回転軸が少しだけ女の方へ傾いてしまったのである。
地球の温暖化と同じく不可逆的な大変化がしずかに進行しているのである。
by nhsmt | 2006-04-09 16:38
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