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逃散(ちょうさん)

増税をめぐる討論番組で政府税調の石さん曰く、
生まれたばかりの赤ん坊も含めて国民一人あたり600万円の借金がある。
これをどうするか国民の皆さんに相談したい、だと。
対する金子勝、
国民からとる前に空前の利益を揚げている企業からとるのがすじだ。
石、
そんなことしたら企業は競争力をなくすし、その前に日本を逃げ出すだろう、とポロリ。

これは何を意味するのか?
わが国民国家が崩壊の危機に直面していると言うことである。
いやむしろ、国民国家の存在意義がすでになくなっていると言ったほうがいいのかもしれない?
企業が発展することによって人々が潤い、さらに国家が所得の再分配機能を発揮することによってほとんどの国民が自らを中間層と感じうる奇跡の発展を成し遂げてきたのだという幻想が存在していた。
国家という枠組みから考えると、これは戦後日本のみならず、明治維新の富国強兵の時代から一貫してつづいてきた道程なのだ。
さらにいえば西欧諸国も同じ道を先んじて歩んできたのだと言えないか?

国民国家とはなにかと言うことについては膨大な分析や論考が存在する。
文化や歴史やどれほど多くのものが積み重なっていようと経済的基礎の崩壊は同じ形態での存続の不可能を宣告する。
ヨーロッパはすでに国民国家のアンチノミーから抜け出すためにEUという冒険に乗り出している。
我々に可能な道は国民国家の枠組みを突破することを選択するか、そこから逃げ出すかだ。
いずれにしても結果は同じである。

若者たちはすでにどんどん国家(社会)から逃げ出している。
ちゃんとした職(?)に就かない、年金を払わない、税金を払わない、選挙に行かない、反社会的である、無気力である、引きこもりである、犯罪を犯すなどなど・・・。
国家とは地理的概念でも空間的概念でもない、
吉本さん風にいえば共同幻想である。
そんな幻想はもはやどこにもみあたらない。

そういえば、日曜日の朝、他の番組で西部すすむ、松本健一、中曽根大勲位が「靖国問題」をやっていた。
現実の国民国家が空疎になればなるほど、駄々っ子のように国家を語る西部さんが僕は嫌いではない。
浪漫派がプラグマチストであるはずはないのだ。
一方、大嫌いだった大勲位にも昨日は感心した。
それは権力を離れた保守主義者が透徹したプラグマチストの眼を獲得していたからである。
松本健一はやはり良識の人だった。

ここで私も考える、
人生五十余年、逃げに逃げてたどり着いたのが「古本屋」であったな~と。
実は、当ブログの「古本経済学」とは古本をめぐる経済活動(古本屋で飯を食うこと)が言ってみれば国家(社会)内長征=逃散へと発展しうるのではないかという幻想に発する。
一時、柄谷行人さんの地域通貨運動に接合できないものかと試みたこともあった。
かなり期待してあれこれ折衝していたのだが、丁度そのころから通貨運動はおかしくなりはじめ、いつの間にか雲散霧消していた。
以来、柄谷さんも元気がないようだ。

「逃散同盟」でも発足しようか・・・。
「方法としての逃散」、三十六計逃げるにしかず・・・。
主旨は全ての逃亡者が首尾よく逃げおおせることを援助するにある。
すべての人間が逃げてしまえばこれは革命ということだ。
by nhsmt | 2005-06-27 19:07
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