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政治

熊本の地震が大変な事になっている。人びとの耳目が集まるのは当然のことだ。私は政府の対応が理解できなかった。だが今週末、北海道で行なわれる選挙のことで頭が一杯な人達がいることに気がついた。
# by nhsmt | 2016-04-19 08:41

人口知能

コンピュータの人工知能が世界最強と評判の棋士に4勝1敗だったというのが話題になった。
碁も将棋もからっきしなボクが論評できるわけでもないのだが、そのシステム制作にかかわったという若者の話が面白かった。
「結局言葉なんです」と彼は言っていた。
膨大な棋譜のデータをインプットしさらにプロの棋士たちから教示してもらった碁に勝つためのあらゆる着想を人間の言葉からコンピュータの言葉に翻訳してインプットする。そして実際に稼働させながらチューンナップしていくわけだ。
だが、チェスや将棋とちがって碁の人工知能は全然強くならなかったらしい。
考えあぐねた末にたどり着いたのはプロ棋士がよく口にする「この辺の模様がいいね~」とかいう曖昧な表現だったという。だがこれはコンピュータの言語にどうしても翻訳できない。そこで彼は画像をそのままインプットすることを思いついたというのだ。
最後に「人工知能が人間を支配する可能性がありますか?」という記者の質問に「それは全くありません。だが人工知能を利用して人間が人間を支配する危険は大いにあります」とキッパリ!

話しは飛ぶが
「人間機械論」というのを思い出した。
機械は人間が作ったものである。だが手や足つまり人間の身体の単純な延長である「道具」をこえてそれ自体がシステムである「機械」という着想を人間が持ったときその着想のあまりの素晴らしさに「人間も機械である」という倒錯におそわれたのではなかろうか。
さらに飛んで
「神」も人間の作ったものと言ったら顰蹙をかうだろうか?
これもうろ覚えだがスピノザの「エチカ」は神の存在を論証するとうい仕掛けになっていたと思う。
「論証」という着想のほとばしりによってあらゆる事象が次々に絶対者の存在を証明していく仕掛けになっているのだがそれが行き着いたのは実は「人間の自由」だった。
「神」が人間の姿をしているのはそのためであろうか?
それを否定する宗教もある。視覚的に神をイメージすることはできないと考えるのであろう。絶対者が人間の姿をしているなどありえないというのだ。ではどうして人間は神を知るのかそれは言葉によってであるという。
「言葉」とは何だろう。
これも人間の作ったものだ。

こりゃ相当こんぐらがってきたな・・・!!
# by nhsmt | 2016-04-13 19:02

完璧な春

昨日落札した本を引き取りに神田へ出かけた。
朝四時半に青梅出発六時きつかり神田到着。
吉野屋で納豆定食、ぶらぶら神田明神へ金儲け祈願。
人の多さに驚く。
南風、この上なく心地よし。
九段の桜も悪くないが聖橋脇の柳も春爛漫!
どこもかしこも完璧な春だ。
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# by nhsmt | 2016-03-31 07:10

自由と競争


玄関の脇に植えられた小さな梅の木の花も大方散ってしまったが、その切られた枝の先に蓑虫がぶらさがっている。梅の枝を切ったのは去年の秋だったか、その時すでに君はぶらさがっていました。
雨の日も雪の日もユラユラと風に揺れながら暖かい袋の中で蓑虫の安逸を貪っている君は一体どうしてその枝を選んだのかね。「そんなこと知るもんか、オレの勝手だ」とこたえるに違いない。そうだ、君は君の自由意志によりその枝を選び糸を吐いて寝袋を誂えそこにぶらさがったのだ。それが生きているということなのだ。人間だけが因果論的必然から自由なのだと思い込んでいたが、そんなこたぁあるはずがない。むしろ反対に人間だけが因果論的必然性にがんじがらめに呪縛されてしまっている様に思われてきた。
話は飛ぶが、「競争は何ものも生みださない」と何処かに書いてあったのを思い出した。これもうろ憶えだが、進化論の自然淘汰説を批判する文脈ではなかったかな?
そう言えば、ぼくと蓑虫くんとの間には如何なる競争もなければ貸借関係なんぞないし何らかの契約をした覚えはさらさらない。なのに僕と君とはどうしてこんなに自由で愉快なんだろう。
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# by nhsmt | 2016-03-26 14:17

一年ぶりだ

夜明け前のまどろみの中で考えた
昔、「世界同時革命」なるものを唱えていた人たちがいたがそれがどうゆうことなのか僕にはよくわからなかった。
ただ、世界は一挙に変えないと変えられないのだという思いはわかるような気がしたのだった。
今朝、思い浮かんだのは「世界同時デフォルト宣言」をするとどうなるのかということだ。
デフォルトというのは借りた金を返しませんと宣言することであると理解している。
通常、個人がこれをやると暴力団がやってくるか警察に捕まるだけであろう。
世界のお金の不均衡がある極限に達すると契約の不履行が突発的に起こる、これを金融恐慌という。
そして戦争となる。
いずれにしても「契約の履行」を保証しているのは「借りたものは利子をつけて返さないといけない」という強迫観念あるいは「法」そして力づくの暴力なのである。

このデフォルトを世界で同時にやったらどうなるであろうか。
間違いなく銀行はすべてつぶれる。年金や保険といったものはすべて消失する。
世界の金融資産はゼロとなる。
これは絶望を意味するのか?
だが、世界の富はびた一文減少することなくそのままであるに違いないと思うのは僕だけだろうか!
通貨は価値の尺度であり交換の媒体ではある。
だが「価値」そのものではない。
不均衡の極限に達した通貨を廃棄し、全ての貸借関係を解消し、新たな通貨(単一通貨である必要はないと思う)を発行する。

これが一夜にしてできれば翌朝は「松は緑にして、花は紅」となる。
かもしれぬなあ???
# by nhsmt | 2016-03-24 07:38