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完璧な春

昨日落札した本を引き取りに神田へ出かけた。
朝四時半に青梅出発六時きつかり神田到着。
吉野屋で納豆定食、ぶらぶら神田明神へ金儲け祈願。
人の多さに驚く。
南風、この上なく心地よし。
九段の桜も悪くないが聖橋脇の柳も春爛漫!
どこもかしこも完璧な春だ。
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by nhsmt | 2016-03-31 07:10

自由と競争


玄関の脇に植えられた小さな梅の木の花も大方散ってしまったが、その切られた枝の先に蓑虫がぶらさがっている。梅の枝を切ったのは去年の秋だったか、その時すでに君はぶらさがっていました。
雨の日も雪の日もユラユラと風に揺れながら暖かい袋の中で蓑虫の安逸を貪っている君は一体どうしてその枝を選んだのかね。「そんなこと知るもんか、オレの勝手だ」とこたえるに違いない。そうだ、君は君の自由意志によりその枝を選び糸を吐いて寝袋を誂えそこにぶらさがったのだ。それが生きているということなのだ。人間だけが因果論的必然から自由なのだと思い込んでいたが、そんなこたぁあるはずがない。むしろ反対に人間だけが因果論的必然性にがんじがらめに呪縛されてしまっている様に思われてきた。
話は飛ぶが、「競争は何ものも生みださない」と何処かに書いてあったのを思い出した。これもうろ憶えだが、進化論の自然淘汰説を批判する文脈ではなかったかな?
そう言えば、ぼくと蓑虫くんとの間には如何なる競争もなければ貸借関係なんぞないし何らかの契約をした覚えはさらさらない。なのに僕と君とはどうしてこんなに自由で愉快なんだろう。
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by nhsmt | 2016-03-26 14:17

一年ぶりだ

夜明け前のまどろみの中で考えた
昔、「世界同時革命」なるものを唱えていた人たちがいたがそれがどうゆうことなのか僕にはよくわからなかった。
ただ、世界は一挙に変えないと変えられないのだという思いはわかるような気がしたのだった。
今朝、思い浮かんだのは「世界同時デフォルト宣言」をするとどうなるのかということだ。
デフォルトというのは借りた金を返しませんと宣言することであると理解している。
通常、個人がこれをやると暴力団がやってくるか警察に捕まるだけであろう。
世界のお金の不均衡がある極限に達すると契約の不履行が突発的に起こる、これを金融恐慌という。
そして戦争となる。
いずれにしても「契約の履行」を保証しているのは「借りたものは利子をつけて返さないといけない」という強迫観念あるいは「法」そして力づくの暴力なのである。

このデフォルトを世界で同時にやったらどうなるであろうか。
間違いなく銀行はすべてつぶれる。年金や保険といったものはすべて消失する。
世界の金融資産はゼロとなる。
これは絶望を意味するのか?
だが、世界の富はびた一文減少することなくそのままであるに違いないと思うのは僕だけだろうか!
通貨は価値の尺度であり交換の媒体ではある。
だが「価値」そのものではない。
不均衡の極限に達した通貨を廃棄し、全ての貸借関係を解消し、新たな通貨(単一通貨である必要はないと思う)を発行する。

これが一夜にしてできれば翌朝は「松は緑にして、花は紅」となる。
かもしれぬなあ???
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by nhsmt | 2016-03-24 07:38