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古本本位制2

古本と言う無際限の資産はもしかすると地球上の金や土地の総資産額より大きいかもしれない。
まあ、その大きさを算定することなどはそれほど問題ではないのだ、
世界中の本好きたちが「子供より古書が大事と思いたい」思いのネットワークがインターネット上に形成されると、
世界中の本の価格がHONという世界共通通貨によって表示されることとなる。
現在インターネット上ではアメリカ人の考案したPAYPALという決済システムが実際に稼動している。
私も海外との取引にはこれを常用している。
こんなすばらしく便利なシステムがなぜかわが国では当局の正式の認可がおりてないらしいのだが、
それはともかく、現に世界中で稼動しているこのようなシステム上の決済通貨の一つとしてHONが追加されたとするとこれは正真正銘の世界通貨となる。為替レートなどを気にすることなく、両替の手間もなく世界中で自由な売買が可能となるのだ。
技術的には何の問題もないのだが、実際にはこんなことは不可能なのである。
現在我々が使用可能な通貨には国家の烙印が押されておりそれ以外のものの使用は犯罪とされるからだ。

ハイエクはこのことが破滅的な景気変動の主要な理由であると言っている(もちろん異論の多いところであるが)。
そしてもっと面白いのは、この困難を克服するために必要なのはユーロやIMFといった超国家的なハイパー通貨やシステムではなく逆に通貨発行の自由化なのだという主張である。
私が生きているうちにこんなことが実現するとはとても思えないがインターネット上でゲリラ的にやって見るのは可能かもしれない。

先ごろ、日産自動車やユニクロや楽天などという世界企業が公用語を英語にするというので話題になったがこのような見かけ上の世界標準を強制するがごとき施策が人々をハッピーにすることは決してないだろう。
普遍文法へのアコガレと単一の言語を強制することとは全くもって対極的なことであるからだ。
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by nhsmt | 2010-07-30 17:08

古本本位制

ハイエクに「貨幣発行自由化論」というのがある。
とんでもなく面白い。

そこで「古本本位制」というものを考えてみた。
「日本の古本屋」という古本屋の組合のサイトで会員登録をした顧客がこのサイトで本を買った際に3%位のポイントを付加する(仮にこれを1YEN=1HONと呼ぶとしよう)。
当然ながらこのポイントは蓄えることができ、このサイトでの買い物には随時使用できる。
このシステムを次第に組合員が個々に主催するホームページを通じた売買にも拡大していく。
つまり、顧客が本を買う場合のみならず各古書店が本を買い入れする場合にも売主の要望があればYENではなくHONで支払いすることができるようにする。
前提として、このネットワークに参加する古本屋はHON発行の主体である組合に対する出資に応じた信用(=HON)を入手することができるのである。
顧客が本を売って入手したHONは組合員が主催する古本ネットワークの中で本を買うために自由に利用することができる。
独立した経営主体としての古書店はそれぞれが回収したHONを一定の割合で組合を通じてYENに換金できるものとする。
と同時に、組合員同士の売買(主要には交換会)の決済にも使えるようにするのである。

これが浸透していくとやがて古本屋が販売する本の価格表示自体が「〇〇HON」となる日が来るかもしれない。
こうなってくるとHONを本以外のあらゆる商品の売買に使用するための原理的障害は何もない事に気がつくのである。
古本本位制は不可能ではない。

だが、通貨発行権をめぐる法的事情はそれほど簡単ではないのである。
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by nhsmt | 2010-07-30 06:49

イキナリ

夏が来て、
昨日からプール通いだ。
夕方、ひぐらしのカナカナで昼寝から覚醒す。

例年より蝉が少ないような気がする。
先週、草取りをしたときには抜け殻が何個も見つかったのだが。
プール脇の桜の古木でもほとんど聞かれなかった、これからかな。
蝉の発生には種類によって年周期があるとも聞くが・・・?
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by nhsmt | 2010-07-19 22:33

戦争よりオモロイ?

ニッポンが負けたのは残念だったが、
面白いね全く、
いまどきのサッカーってやつは!

「遊びをせんとや産まれける」だね、
西欧人の考え出した遊びに世界中が熱狂するのはどうしてなんだろうね。

シンプルなルールとフェアネス、
フェアネスって自然法のようなもので、在ると言えばあるし無いといえばない。
はっきりしているのはそれが人間に由来するもので、自然にそこに在るものではないということ、
この相互了解がなくなるとゲームは成立しない、
残るのは戦争だけだ。

戦争は究極の遊びだと言う向きもあるが、どうだろう?
むしろ散々殺しあったすえに人々は遊びを思いついたのかもしれん。
中世人が戦争を儀式化しようとしたのはそのためかもな・・・。

おなじく西欧からやってきた「資本主義」というゲーム、
これも世界を席巻中だがこいつのフェアネスは相当に怪しい。

市場というシステムはきわめてシンプルで、あなたと私の前に現前する具体的でフェアな関係性そのものなのだ。
むしろ、フェアという観念は市場に由来するのではないかとさえ思っている。

だが、「資本」という代物は具体性を欠いた、時間との得体の知れない契約なのである。
このゲームのルールは市場のルールとほとんど同じだと信じられているようなのだが実はまるっきり別物なのだとボクは思っている。

このゲームには現下の貨幣経済のなかで生きている限り不参加という選択の余地が全く存在しない。
アンフェアの第一根拠はこれだ。

それはまた自己増殖する貸借関係の体系なのだが、
あまりにも肥大化してしまった結果、
事実上誰が貸し手で誰が借りてなのかが分からないかあるいは分からなくしている。
本当のプレイヤーが判然としないゲーム、これもアンフェアな由来である。

昔、「あらかじめ消費された時間」と言うことをかんがえた事がるが。
これは昨今よく言われる国家債務とかソブリンリスクとかいう言葉で語られることとほとんど同じことだ。
誰がどのように未来を消費してしまったのか誰にも分からないのだが、時間との暗黙の契約の証としての借用証書があるらしいのだ世界の何処かに。

こんなゲームが面白いわけがない。

かくのごとき理不尽なルール、身に覚えのない契約を
暴力的にではなく破棄する方法は無いものですかね
坂本竜馬さん!
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by nhsmt | 2010-07-04 13:28