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こしあぶら

今朝、鉄筋場のおばさんからこしあぶらとわらびをいただいた。
こしあぶらはてんぷらで、わらびは重曹であく抜きをしておひたしで食す。
ホンマにうまい。

娘に教えられてFlickrという写真のブログみたいなサイトをはじめて見た。
スバラシイ写真の海を散策するうち、
たまたま、先日高円寺の古書会館で開催された新しい古書展の写真に遭遇。
モダン・クラシック氏の撮った写真らしいがいいね、なんとも。
古書展にしては若者がおおぜいいるかに見える、すくなくともふだんの古書展とは少し雰囲気が違っている。

これはたぶん新たな革命であろう。
新たな革命とはこのようにしてはじまりそしていつのまにか世界を変えてしまうのかもしれない。
そこでは、ただ普通に古本が売られそして買われたに過ぎないのだ。
特に多く売れたわけでも格別にめざましい何かがあったわけでもないのだ。
新奇なことは何もない。
だた、恐ろしく原始的な交換が古本を媒介にして行われただけなのである。
だがそこにこそ意味がある。
このような交換がもたらすそこはかとない喜び、なんとはなしの解放感、
市場が人類史に出現したのはそのためではなかったのかと僕は考える。
自由や平等といった言葉が発生したのもここにおいてではないのかと僕は考える。
世界のあらゆるところがこのような市場で満たされるとき資本は意味を失うだろうと僕は夢想する。

資本の辺境でまたそのド真ん中で、こともなげに開催される祝祭=市場がやがて資本を消滅させないとはかぎらない。
このような人と人との関係性を象徴的に古本経済と名づけると、このような祝祭がインターネットでは勿論、世界中のあらゆるところで発生しているように思えるのは僕だけであろうか?
それを一人前のなりわいとするために一所懸命な人々がいるのである。

昨今のグローバリズムが市場経済至上主義などと説明されるように資本主義と市場経済は一体のものと考えられている節がある。
だが原点へ帰ろう。
市場と資本とはまるで別のものである。
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by nhsmt | 2008-05-25 22:48

五月

ぼくの五月は永遠に来ないのかと思っていたら
連休の終わりになってやっとやって来た。
寺山修司は五月に生まれて五月に死んだのだったが
僕は単にこの爽やかが好きなだけだ。

それにしても女というのはどうしてこうお出かけがすきなのかな?
女房殿も連日あちこち出かけて「アー疲れた」など言いつつまたあくる日になると出かけていく。
僕は誘われてもぜんぜん行く気がしないので相変わらず古本屋稼業の毎日だ。
仕事を手伝ってもらっているオバさんと言ったらこの前怒られた女性たちも年中どこかへ出かけているがやはりご亭主は行かないで家でゴロゴロしているらしい。
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by nhsmt | 2008-05-06 11:56

木の芽どき

横須賀のK氏よりtelあり
彼は古本屋のかたわらグループホームの宿直をやっている。
古本屋が儲からないので最近は宿直の方が本業になりつつあるとか。
そこの40代の住人Iさんが昨日失踪したらしい。
Iさん、普段はとてもまじめな土木作業員で会社の人からも信頼されているのだが、
それでも週5日はたらいて一月の給料が一万円行かないのだ。
その給料も持たせておくとすぐに使ってしまうのでホームを運営するNPO法人が預かって貯金をしており、日々の衣食住はすべて公的補助でまかなっているのだという。
酒と釣りがすきでちょうど同好のK氏と仲良くしているらしい。
ほとんどお金を使わないこの生活に満足しているのかいないのか、
とにかく淡々とこうして一年を過ごすのである。
だが、K氏が宿直をするようになって毎年この木の芽どきになると決まって一月ほどいなくなるのだという。
そうしてほぼ一月以内に万引きか無銭飲食で警察に捕まりNPOがむかえにいくのである。
なにしろほとんどお金を持っていないので盗むより生きる道はない。
捕まるのがいつも浅草界隈だというのも傑作だ、すべての浮浪者は浅草をめざすのか?
乗り物に乗るお金もないのだから横須賀からひたすら歩いて浅草をめざすのである。
風呂にも入らないから帰ってきたときはものすごい匂いらしい。
去年帰ってきたとき、疲れるからもうやめたと言っていたらしいのだが、
今年もやはり居なくなったのだ。
病気なんだからショウガナイとK氏はいうが、
イヤハヤナントモ自然児だなあ。
こんな風に生きることがまだ可能なんだね、このニッポンで!
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by nhsmt | 2008-05-02 17:46