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言説

早朝、落札品引き取りで高円寺へ
寒風なれど日差しは春

本年初の西部市場だったが
やっぱり市場はたのしいな~!

知の考古学なんて素敵なコトバを思いついたフランス人がいたが
古本屋はさしずめ知の盗掘人とでもいうべきか?(「さしずめ」てのもふしぎなことばだな)
考古学者が出現する何千年も前から
世界中のありとあらゆるところで盗掘者たちは死者を恐れることもなく墳墓を暴き
死者とともに埋葬されたその財宝を白日のもとにさらけ出してきたのだった。
彼らこそは歴史の真実を知る者達なのである。
そして、
「市場」がすべてを浄化する。
世に盗人が尽きぬとすれば盗品市場もまた不滅である。
いやむしろ、市場とはその源を遡れば盗品を浄化する場所であったに違いないといえば言い過ぎだろうか。
共同体に生じた過剰が
あるいはおなじことだが共同体から略奪された富が
共同体の神と掟の外部に創り出した関係性の束としての空間が市場なのである。
自由を付与されることによってこの空間は自らを等価交換の可能性として、つまり市場として実現する。
盗掘人の系譜に幸あれ!
全てを浄化する市場にオマージュを!
とつぶやきたくなってくる。

だが、この数年世界を席巻した市場原理主義とか言うものは僕の考える自由の棲家としての市場とは実はまるで違うしろものである。
市場の歴史はそれがあまりに巨大な利益を人々にもたらすがゆえに共同体の強力によって絶えず翻弄され取り込まれてしまう、そしてまたその外部に新たな市場が形成されるといういたちごっこの飽くことなき歴史であった。
ここで注意すべきは共同体やその外部とは単純な空間概念ではないということである。
市場から自由を奪い去り略奪の場とするのはあからさまな強力だけであるとはかぎらない。
コトバの意味の変質、すり替えが行われているのである。
人間の関係性を考える時に人類学や社会学でよく使う「交換」と「贈与」という概念がある。
家族や友人など大雑把に経済外的関係性を贈与の関係だとすれば
交換とは売買という経済的関係を指示することばである。
普通に語られる市場とはこの交換の場に他ならないと誰もが信じているようだが果たしてそうだろうか。
市場が全てを浄化する自由の時空だという思い込みがどこかにある。

僕はここに「貸借」という関係性の概念を導入して再考してみるべきだと思っているのだ。
「貸借」と「交換」とは実は似ても似つかぬ異質な関係性なのである。
このことの検証にはおそらくルネサンス期の商人たちの活躍や「ベニスの商人」の時代にまでさかのぼらなければならないのであろう。
その時代の人々はこのことつまり「貸借」が関係性において持つ意味の重大性をはっきりと認識しており、それについて多くの記述がなされている。
しかしいつの間にかこの「貸借」と「交換」と全く異なる二つの関係性の概念ははひとつの市場という場に放り込まれ掻き回されてほとんど判別不能の経済行為として扱われ語られてしまっていないだろううか?

言説不定
人心亦不定
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by nhsmt | 2008-02-17 17:00

大雪

大雪の早朝から
娘と女房は都心へ草間弥生のトークショーと映画見物へ出かけた。
何年ぶりかで家の周りの雪かきをする。

中国、スウェーデン、韓国から受注あり。
PAYPALにて円で支払うべしのメール発信。
数時間ですべての入金を確認。
これで支払側の手数料は無料、当方に掛かる手数料は一件¥60-ばかりである。
コイツは恐ろしく便利だ。
こんなの許されるのか?
外為法ってのはどうなってるんだ?
オレが知らなかっただけなのかな?

古来、商人に国境は不要なり。
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by nhsmt | 2008-02-03 21:25