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家事

涼しくなりました
日もみじかくなりました
プールもこれで終わりだ
今年は良く泳いだな

昨日ふと思いつき家事をやることに
手はじめに食器洗いから

家に居れば昼食は決まって麺類なので
これもつくろう

これまで全く何もしなかったのに
なぜだか家事をやりたくなった
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by nhsmt | 2007-08-31 17:09

入道雲

このところ日中の猛暑を避けて
夕方四時ごろから泳いでいる
夕暮れのプールは確かに心地よいのだが
全然物足りないのは
空が違うからだ
こんなに暑いのに今年はまだ入道雲を見ていなかった
昨日初めて夕暮れの東の空に入道雲を見た
その下は大雨警報だったらしいが
入道雲をみて嬉しくなったのも昨日が初めてだ
今日も快晴だったが、夏でもなく秋でもなくどことなく見知らぬ風情の空だった

地球も人の世ももどることのできぬ閾を越えてしまっているのだろう
そこを歩いていくしかないのである
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by nhsmt | 2007-08-21 18:58

暑い

プールでひと泳ぎし
風通しのよい板の間に転がって昼寝しようとしたがとても無理だ
熱風が吹いてきて室温36度である。
仕方がないのでエアコンを入れる。
こんなバカヤロウな暑さは初めてだ。
CNNによればヨーロッパは冷夏で洪水だという。
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by nhsmt | 2007-08-15 17:36

バッハ

グレングールドのバッハを聞きながら夜風に吹かれていると
脳ミソを清流にさらしてブナの原生林で陰干ししたような爽快な気分になる。

文明はそれを発展させたその動力そのものによって滅びるらしい。
近代の動力を資本主義とするならばそれはその究極の形態としての金融資本のアンチノミーにおいて滅びるのであろう。

新たな時代は赤子のように全ったきすがたによって出現するという神話がある。
つまり人類は新たな時代を産出するたびに、
その都度ある種のルネッサンスを繰り返してきたのかもしれない。

古代への郷愁は新たな時代への希求なのだ。

まだ資本主義がはっきりと姿をあらわす前の近代の揺籃期、
経済学という新たな学問が姿を現し始めた頃、
人々は「交換」がなぜ可能なのかという問題を発見した。
交換などというものはずっと昔から行われてきたのにもかかわらずにである。
この発見こそが経済学の成立に他ならないわけだが、
一袋の小麦と一足の靴はなぜ交換可能なのか?
それらが交換可能であるのはそれが互いに等価であるからであろう。
だが等価であるとはそれを計量する尺度を前提とする。
古典派の経済学者たちの多くは、この尺度はその商品を生産した「労働」に由来するものだと考えたのであった。
近代的直感のラディカリズムがここにはある。
ルネッサンスや宗教改革や農民戦争をとおして形成されてきたあらたな時代への直感である。

我々はこのような直感を失ってしまったかのようだ。
少なくとも現前するシステムとしての資本主義社会の動力学はそのようなものではない。
資本主義システムの動力学は資本の価値増殖作用に存すということになってしまっている。
ここには二重の倒錯があるのではないか、一つは貨幣と価値とのもう一つは市場と神の見えざる手と言われる観念との・・・?
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by nhsmt | 2007-08-10 21:45

がびちょう

さえずりの見事さが春先から気になっていた鳥の正体が分かった。
我が家のすぐ前の電信柱で今朝、盛んにないていたのである。
「がびちょう」といい野鳥観察家の間では数年前から有名らしい。
中国の南の方からインドシナ半島あたりの鳥らしく日本には人為てきに入ってきたのだという。
メジロは子供のころ家で飼っていたこともあるのでどうも違うなとは思っていたのだが・・・。
手放しで喜べない話の結末である。

八月に入ってから恒例の市民プール通いをはじめた。
これなしにはとても夏をやり過ごすことなどできそうもない。
千メートル泳ぐのが日課である。

ひぐらしが盛んになきはじめた。
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by nhsmt | 2007-08-06 18:46