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労働

連休突入でさすがに本の注文も少ない。

レヴィ=ストロースの「日本公演集」を読みつつ、
ユダヤ・キリスト教的伝統では「罰としての労働」というのが基本だそうだ。
フランス語のtravailはずばり拷問具を意味するラテン語からきているという。
だが、プロテスタントの成立はそのような伝統に断絶をもたらしているはずだ・・・!

日本語の「労働」という言葉はいつごろ成立したのだろう。
「労」や「働」は相当に古そうだが、
「労働」と言う言葉はおそらく明治になって翻訳語としてつくられたのではなかろうか・・・?

などとぼんやり考えているうちに・・・
うつらうつら一時間以上も睡眠をむさぼってしまった。

老人力という奴は熊谷守一のネコのようにこの上なく気持ちいい!
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by nhsmt | 2007-04-28 16:21

絵空事

このところしばらくつづいた冷たい雨で奥多摩連山は季節外れの雪化粧だったのだが、
今日は汗ばむほどの陽気で山々にもやわらかな春のみどりがもどってきた。

それにしても、下界の地方選挙の喧騒たるや腹立たしさを通り越してただ空しいばかりだ。

何かがその根本のところで崩壊しつつある、
あるいはすでにすっかり崩壊してしまっているのだがそれを表現する言葉がない?
言葉がパラダイムにおいてしか存在し得ない以上、パラダイムの崩壊を言葉で表現するのは不可能というこであろうか・・・。
人間においては感覚もまた言葉によって成立するのだとすればそれもまた希薄となるわけである。

斯様の世界では狂気だけがリアルであり、
現実は絵空事のごとく、
言葉はただひたすらに空疎となる。

こんな時代は歴史上何度もあったに違いない。
だが、方向を欠落した裸形の狂気はあまりに危険であろう、
方法的狂気が存在せねばならぬ由縁である。
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by nhsmt | 2007-04-21 17:13

草取り

おととい朝五時起床、家の前の道路っぺたの草取りをした。
ついでにむこう三軒両隣のぶんもやる。
昨日から腰が痛い。

飛騨の山人S君の山仕事、畑仕事さらには新たな開墾のための石垣積などなど、想像を絶する仕事である。
これをすべて一人でやってきたのだ。
僕の知っている限りでの百姓の印象は全くなかった、想像するところ空白の30年の間に彼は縄文人になっていたのである。
作物や草木の新芽などを食い尽くしてしまう日本鹿の被害は全国の山村で大問題になっているらしいのだが、それに対する彼のやり方はちょっと変わっている。
鹿の駆除は通常は猟銃によって行われているようなのだが、
彼はそれを銃器の使用を忌避し罠で捕獲した後
刃渡り七十センチの刀でとどめをさしているのだといっていた。
そしてただちに解体し長良川の上流の清流にさらして血抜きをするのだという。

自然こそが最大の問題であった時代に、古代人はその絶対的他者に対してサクリファイをささげアニミズムの精神によって交感しようとした。

S君は医者への道を歩んでいたのだが、今度30年ぶりに会った縄文人のS君も全く何の違和感もなく接することができた。
後から思えばなにごとも必然の道のごとし・・・。

遠いアニミズムの時代から戦争や国家の時代いわば人間にとっての最大の問題は人間である時代が長く続いてきたのだが、今やそんなことは言っていられない時代に差し掛かっているのかもしれない。

だが依然として彼の生活上の悩みの種は現金収入の少なさなのである。
今や何人にも自給自足は不可能な時代である。
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by nhsmt | 2007-04-13 22:19

絶対的他者

有朋自遠方來、
不亦樂乎

悪酔いもしたが、
限りなくやさしい人たちに会えて本当によい旅だった。

私は山林地主の優雅な生活なんぞを勝手に想像していたのだがとんでもない間違いだった。
山里の生活の困難は想像を絶するものである。

長い時間をかけて人間によって変形された自然が本来のカオスとなって露呈しはじめているということだろうか。
他者とは人間のことだと、自然とは風景や景観のことだと何処かで思い込んでいたが、
自然が絶対的他者のように思えてきた。
この自然にたった一人で立ち向かっている友人の姿と途方もない努力、その無骨な手には本当に感動した。

近代は人間とその風景とを発見したのだった。
今や人間は自然を絶対的他者として再発見しているのだ。
当然ながらこれは経済合理性を超えた事態である。
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by nhsmt | 2007-04-03 22:45