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この国

風邪薬で頭が変になっちまったか?
三日ぶりで新聞をよみテレビのニュースをみた。
トンでもねえことが次々と国会で成立しそうな雰囲気だ。
落ちていくとき、道を誤るときというのはこんなものなのか・・・。
猿芝居でも見ているようだ。
現実感が欠落している・・・。
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by nhsmt | 2006-11-30 18:15

風邪

日曜日の防災訓練で風邪をひいてしまった。
三日ひたすら寝ておった。
今日より復帰も医者からもらった薬が効きすぎて夢遊病者だ。
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by nhsmt | 2006-11-30 17:30

常民

寒さにふるえつつ、
朝9時から11時まで町内会の災害訓練というのに参加
平均年齢60ン才の老人、老女が30人ばかり自治会館に集まってきた。
私より若そうなのは5.6人か?
若い消防職員の「私の出身は新潟の山間部で、地震のときは悲しい思いをしました・・・」などというまじめな話を神妙に聞きつつ、
皆熱心に消火訓練や救急救命の訓練などをやったのであります。
柳田国男が愛した常民というのはこういう人達だったのかなあなど、思いつつ。
若い人(40歳以下?)は全くいなかった。

常民という概念の背景には極最近まで(といっても先の敗戦までの)日本社会の基底を形成していた膨大な農民層というものがあった。
ある法社会学者は明治以降の日本の家族の在りようを儒教的父権制に基づく法的側面と母性的で農民的な実態的な側面との両面があると指摘している。
河合隼雄が日本を母性社会だというのはそういうことであろう。

だが今や、日本社会からかつてと同じような意味で農民といえる人々はほぼ消滅しつつある。
何千年もついやして形成された文化的な基層がそう簡単に崩れ去ることはないだろうが
新しい酒をいつまでも古い皮袋に入れておくこともできないのだ。

では直面している新しい事態とは何なのだろうか?
大衆社会とか消費社会とかいろいろいわれて来たが
私には都市化というのがもっとも実感的で分かりやすい。
都市も農村と同じほどに古い、
かつては圧倒的な農村という海の中に都市が散在していた。
共同体と共同体の狭間にあらゆる文物の交換の場として成立した都市は共同体から離脱した人々の流入によって次第に大きくなっていく。
フランス革命を先頭に立って担ったのはこういう人たちだった。
マルクスはこの人たちをルンペンプロレタリアートとよんだのである。
だがその後ヨーロッパを席巻するナポレオンの軍隊をになったのは新たに成立した独立自営農民たちである。
近代の国民国家は都市と農村との相克を孕みつつ発展する。
近代国家とは都市という頭と農村という体を持った怪物なのだ。
19世紀を通じて革命の震源地であったパリはそのような都市の象徴である。
つづく
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by nhsmt | 2006-11-26 16:42

呼気が朝の冷気に白くなった

冬は慰安の季節だから・・・
はランボーだったか

昨夜、新宿にて九州から旧友がでてきて恒例の五人ばかりのミニ同窓会
誰も変わっていない
私も相変わらず
世界は何も変わっていないのだが
すべてがふしぎに新鮮だった
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by nhsmt | 2006-11-18 08:41

父性

われに「おとう様」と言ふ人あり

何故か私はこれにいたく動揺し乱暴な腰の引けたことばをかえしてしまった。
その上、今度は己の発したことばに不安になり子供っぽい弁明にあたふたしてしまったのだ。

かの人曰く、「ヘッセの少年」のようだと
この言、わが実存の正鵠をうがつ

深層に封印されていた記憶がつぎつぎによみがえり、
却って解放された私の心は初めて空っぽの爽快を味わった。

私は、思いもかけず私の父性に呼びかけられたことに動揺し、
己を「爺」に仮想することでやり過ごそうとしたのだ、ことばが乱暴になったのはそのためである。

「父性」とはある状況で実存がくだす決断ということであろう。
白か黒かどちらかを選択しなければならない時がある、この選択を意志において行うことを父性という。

私のなかには脆弱な父性しか形成されていなかったのである。

では「ヘッセの少年」と化してしまったのは何ゆえか?
存在の深層にあった母の愛を失うことことへの畏れが噴き出してきたのであろう。

無際限の母性は人間が人間となるために不可欠なものだが、社会へと出立するにはいつか父性によって一度切断される必要があるのだ。

父性と母性とはときに絡まりあって解しがたい葛藤をつくりだす。

私は早く父を亡くし、父と会話した記憶はまったくない。
おそらく五歳上の兄が私の精神形成の上では父親の役割だったのである。
私のエディップスコンプレックスはここで形成されることとなった。

だが兄は私の父でもなければ母の夫でもない。
兄はやがて結婚し、彼はそこで生じた母との葛藤をはっきりとした選択によってのり超えたのである。
兄がそのことによって抱えることになった悲しみは父性の獲得と等価なものだったのだ。
母が亡くなったときに兄が嗚咽するのを初めてみた。

母は母子家庭の窮乏をアレコレとやりくりしながら乗り切ったのだったが、開放的な大正女のコケットリーを持った人だった。
私の兄弟の友人たちがいれかわりたちかわり母に会うために我が家をおとずれてきたものである。
私も母に夢中だったのだ。

だがその後、どこか母と重なるところのある女性との恋愛はすべて失敗だった。

女房は母とは対照的な女だ。
化粧をすることはほとんどなく、愛嬌などとは無縁なのだがどこかきっぱりしたところのある女である。
付き合いはじめてしばらくしたころ、そのころ私は誰かと結婚するなどということはまるで考えていなかったのだが、次第に窮屈な雰囲気になってきたのでここらで別れようと心に決めてそれを言うべく彼女に会った、そのときに私の口から出たのは「結婚しよう」だった。
これは私の意思に反して無意識から発した言葉だった。

やがて私たちは母と同居することになった。
これは私の決断だった。
何とか一緒にやっていけるのではないかと私は密かに考えていたのだ。
だが、一つの家庭に二つの母性が存在するということは並大抵ではない葛藤を出現する。
母は何度か、「九州へ帰って一人で暮らす、ここは私の死ぬところではない」といって私に茶碗を投げつけたりしたことがあったのだが、
これをさせなかったのも私の決断だった。
女房は私だけが孤立しているといって私にぶつかってきた。

私の長男は女房が働いていたこともありほんとうにおばあちゃん子であった。
母が亡くなってしばらくしたころ女房がその心境を尋ねたところ、
「お母さんが二人いるみたいで本当に苦しかった、ほっとした気持ちがする」という私たちが全く想像もしなかった答えが返ってきたのだった。
私たちは息子が大きな喪失感を抱いているのではないかと心配していたのである。

母が亡くなって八年になるが、今年岳父が亡くなった。
脳梗塞で倒れて二年、女房は毎週見舞いにかよったのだった。
その過程で私は女房がしだいに女らしくなってきたようにかんじた。
岳父は酒飲みで年中酔っ払っては近所の家へ入り込んでねてしまったり喧嘩をしたりといったことの絶えない人で、
そんな時に少女時代の女房は、泥酔した父を引きずって帰ってバケツの水をあたまからかけたりしていたという。
一方彼女は小学生のころから家出の常習だったのである。
母親はそんな父を嘆いておろおろするばかりで何もできなかったといって女房は母をしじゅう非難してきたのである。
女房の中には母が自分の仕事に夢中で父や自分や家庭のことを省みなかったという思いがあるようだった。
おそらく少女時代の女房は少なくともその心理においては父親の役割を演じていたのである。
そしてその反面、自分の中の女性を深いところで抑圧してきたのではなかろうか。
私の母がどうしてあんな男みたいな人を選んだのともらしたことがあったものだ。
だが、岳父の見舞いに通う中で次第に彼女の中の抑圧が解放されていくのを私は感じたのである。

人間の心理とは不思議なものだ。
天のはいざい、無意識の不可思議とでも言うのであろうか。
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by nhsmt | 2006-11-16 04:04

なんだ、なんだ、なんだ、
今朝起きてみたら世界がいきなりクリアになっていた。
こんな気分は初めてだ。
どう形容したらいいのかわからない。

こんぐらがっていたすべての謎が解けたような気分だ。
いい年の男が何年も何十年もひとりでかってに懊悩してきたわけが氷解したかもしれん。

恥ずかしくて答えは言えないが。

だが、人間にはひとりでは解き得ない問題が本当にあるのだ。
明晰な精神分析医と出会えたらこれ以上の幸運はないとだれかが言っていたな・・・。

今日の空のような気分だ。
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by nhsmt | 2006-11-10 17:28

シニズム

また僕のなかの悪魔が噴出してしまった。
人とのもっとも大切なときにそれがあらわれるのだ。
だがそのことの深刻に僕は本当には気がついていなかったのだ。
苦しんでいる人のやさしさに触れるまでそれがどれほどのものかわからなかった。
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by nhsmt | 2006-11-09 04:33

自由

朝日新聞の夕刊トップで「現住所ネットカフェ」なる特集。
一泊千五百円のネットカフェを渡り歩く若者の記事を読んでいて思わず二十代のころの己と寸分違わぬのことに気がついた。
このような若者たちをめぐる事態を解決すべき社会問題であるかのように考えるのには多少違和感を感じるこのごろである。
これは社会というものの仕掛けを知るために人生の一時期に通過せねばならない儀式のようなものなのであって、お国なんぞに救済してもらっても碌なことにはならないのである。
ほって置いても彼らは自力でそこから抜け出していくにちがいない。

「自由」は確かに過酷なものだが手放すにはあまりに魅惑的である。
このごろハイエクを読んだせいかな・・・?
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by nhsmt | 2006-11-03 18:02