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SE

在庫管理、顧客管理、ホームページ管理などうちのシステムを構築してもらったS君が行方知れずになってしまった。
先週までは所在がわかっていたのだが。
数軒の同業にも紹介していろいろ相談にのってもらっていた。
ここ数日あちこちでシステムトラブルが発生して昨日連絡しようとしたら電話が不通になっていた。
彼のホームページもアドレスも携帯もすべて消えていた。
会社勤めがダメでSEとして独立してがんばっており、
絵本やジャズがすきでそんなページもつくっていたがすべて消えている。
確かホリエモンと同い年だった。
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by nhsmt | 2006-10-30 03:36

寝る

急に気温の下がるこの時期、決まって体調をくずす。
呼吸器に疲労がたまって重苦しくなってくるのだ。
風邪薬の開源をのんでひたすら寝る。
この二日12時間づつ寝て、
今日神田で一仕事したらほぼ回復。

今朝、新聞を読んでいてふと考えた。
北朝鮮の問題、別にどうということはないと思っていたのだが、
ひょっとすると妙な方向にいくかもしれない。

朝鮮半島の地政学的な位置には宿命的なところがある。

中国は国連の決議に添ったかたちで金融封鎖の度合いを強化しているように一見みえる。
だが凍結しているのはドルだけであり人民元にはいかなる規制も行っていないと新聞には書かれていた。
すでに北朝鮮経済は中国経済と不可分の関係になっているようだが、
核実験に対する制裁としてドルを封鎖すれば結果として完全に人民元の通貨体制化に組み込まれてしまうことになる。
こんなことは金正日も望んでいないだろうからひたすらアメリカにラブコールなわけだが・・・。

他方、ドルは世界通貨の位置から崩落する不安払拭できず、もはやハードランディングかソフトランディングかとさえいわれている。
このところの株の急上昇は一層不安を駆り立てる。
中間選挙が終わったらいかなることになるやら。

問題は韓国の世論だろう。
これがどう動いていくのか・・・・?
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by nhsmt | 2006-10-26 02:37

女房に睨まれたゴキブリ

ゴキブリといっても亭主にあらず、
本物のゴキブリである。
我が家はみなゴキブリ嫌いだが、
女房をのぞいては嫌いを通り越して恐怖症である。
そこらじゅうにゴキブリ撲滅の仕掛けをしているのだがそれでも時々出てくる。
するときまって女房に出動願うのだが、
昨夜ばかりはおどろいた。
ティッシュを二三枚つかむと一メートルほど先にうずくまるゴキブリをさっと掴もうとした、
その瞬間、さすがに昆虫くん、ぱっととびあがってのがれんとする。
だが女房たるや、横っ飛びに飛んだと見るやみごと空中のごきぶりをその手に掴んだのである。
真夜中の大爆笑。

いわく、子供のころ秋になると田んぼでイナゴをつかまえては何十匹も猫じゃらしに串刺しにし、
焙烙で炒って食べたもんだという。
子供のころに培われた技は婆になっても体のどこかに生きているんだ。
野ラッコの面目躍如、ゴキブリ受難の夜だった。
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by nhsmt | 2006-10-19 18:50

アーミッシュ

アメリカのペンシルベニアでおきたアーミッシュの学校での事件と
その後、彼らが取った行動は、
日々感情に翻弄され情念に引き裂かれている卑小の身にとって、
(新聞やネットから得られた情報から推測するかぎりではあるが)真に驚くべきものである。

超越性へのこれほどの確信はどこからくるのか?

超越性を神や宗教や信仰などと混同してはなるまい。
「汝の敵を愛せよ」というのはまぎれもなく超越性の言葉である。
だが、様々の神や宗教はその名の下に限りない残虐を積み重ねてきたのであった。

信仰は神と己との契約によって成立する。
だが、超越性とは己と他者との葛藤を超えようとする意思なのだ。

アーミッシュのひとびとはヨーロッパ大陸における残虐から逃れてアメリカへと移住し共同体を形成する。
彼らは古風な生活を維持することによって、自分たちと世界とにはっきりとした区別をつくりだした。
絶対平和を希求する共同体と殺し合いをしかねない危険な世界とは互いにまったく違った衣装をまとっている。
ネットで調べたり数冊の本を読んだだけだが、そのうえ彼らはこの世界の包囲から逃れようとも逃れられるともまったく思っていないように思える。
むしろ危ない世界との緊張を堂々と生きてきた。
それを許容してきたのはアメリカのすごいところなのだろう。

だが事件は起きてしまった。
そして彼らはその超越性への意思に忠実であったのだ。
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by nhsmt | 2006-10-14 16:04

寝待月

鎮守の森の東に
寝待月がぽっかりとうかんでいるな
白波のお湯割りのんでそろそろねるか
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by nhsmt | 2006-10-10 20:35

村祭り

今日は我家の前の春日神社の年に一度の祭りである。
朝から、いや昨日の前夜祭からずーと単調な獅子舞の笛の音が聞こえてくる。

この獅子舞は保存会が中心になり近隣の小中学生が何ヶ月も前から練習して年々引き継がれているのだが、ワンステージが90分にわたる長丁場なのである。
何週間も練習をして、最後に一人二万円のご褒美がでるらしい。
娘の同級生の男の子が以前これをやったのだそうである。 

今日初めてワンステージを通して見させてもらったが、獅子役は最後のほうは足がふらついていた。
以前見たときはなんて単調な踊りなんだと思っていたのだが、
実は相当複雑なデテールのストーリーがあるのである。
これだけ複雑なものが人から人へと何百年も伝承されてきたということは、それを支える共同体もまた何百年もの間同じようなエートスを維持してきたと言うことなのであろうか?

この獅子舞と同系統のものがかつては西多摩のあちこちで行われていたのだそうだが、
これほど完全に伝承されているのは最早ここだけらしい。
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by nhsmt | 2006-10-08 14:34

テヘランでロリータ

日曜日の朝日新聞、詩人の小池昌代さんの「テヘランでロリータをよむ」の書評を読む。

その本も読んでいなければ評者のこともほとんど知らないのだが、
その書評からとても新鮮な印象を受けたのだった。

原著者はイランを追われた大学教授で、まだテヘランに居た頃に7人の女子学生と密かに行われた読書会の有様を書いたものらしい。

柄谷行人「近代文学の終り」を読んだ直後だったせいか、
評者の筆致の瑞々しさのおかげか、
近代文学がはじまろうとしている国があるのだなという感慨のようなものが湧いてきたのだ。

だがこのことを後進国が先進国のたどった歴史を反復しているのだなどと考えるとしたら、
それこそ退廃というものだろう。
反復はまた創造をともなっているに違いない。
ルネッサンスとはあらたな創造なのだ。

そういえば、この業界では「国文学は売れない」というのがこのところ定着しているのだが、
なかでも「万葉集」は全然売れない。
これも時代の反映なのであろうか?
今度、市川の博士に聞いてみよう。
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by nhsmt | 2006-10-03 17:38