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忘年会

快晴、いつまで続く晴天。

昨日、最後の忘年会。
退職教員、不動産社長、地方新聞記者、デザイナー、塾経営者など。
この一年の激変、苛烈な時間があからさまに露呈していた。

懸案一つ解決。
終わりよければすべてよし!

おっと、もう一つ。
今年一番感動したことば、
「連帯」
ありふれたことばだが、
何度か遭遇しすばらしいと思った。
取り戻すべき日常などはもはやどこにもない。
新たにつくるしかない。
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by nhsmt | 2005-12-31 10:20

忘却

失ったもののことは忘れよう。

こんなことを考えたのははじめてだ。
私の精神生活において2004年は最低の年だった。
そして今年はそれをずっと引きずっていたのだと今日気がついた。
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by nhsmt | 2005-12-27 17:57

障子張り

今日は朝から家中の障子を張り替えた。
去年か一昨年か忘れてしまったが、
石油ストーブをちゃんと消さずに外出し、
帰宅したら家中が煤で真っ黒になっていたのだった。
めんどくさいのでそのままにしていた障子を張り替えた、もちろん自分で。
家の中が見違えるほど明るくなった。
あんな薄暗いところでよく生活していたものだ。
しかしこんなこと、女房にうるさく言われでもしなければなかなかやる気にはなれないな。
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by nhsmt | 2005-12-25 19:42

赤城山

岳父が肺炎をおこしてまた入院。
凍てつくような空っ風ふきすさぶ赤城山麓の病院へ見舞いに。
広大な関東平野を見晴るかすあたりに鳶が数十羽も高く舞っていた。
上州の原風景・・・
松永伍一の上州自殺考をおもいだした。

現在入所している介護施設では寝たまま食事を取らせることはできないという。
そのような状態になれば病院へ入るか別の施設へ移るしかないらしい。
何ともはや。
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by nhsmt | 2005-12-24 17:45

金儲

冬寒。
関東以外の日本中で大荒れの天気が続いているようだ。

午後、適当な理由をつけて近くの診療所で健康診断をしてもらう。
これで心置きなく飲めるというものだ。
正式に健康診断すると保険が利かないのでとんでもなく高い。

昨日は神田で忘年会、
勉強家の友人は来年は中国の科学論の研究をするらしい。
私は「金儲け」に専念するなどといってしまったが、
はてさて、どうやって儲けよう・・・?
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by nhsmt | 2005-12-22 17:03

仕事納め

西部市場の仕事納め。
昼過ぎには多少汗ばむほど。

明日は「資料会」の本年最終市。
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by nhsmt | 2005-12-20 17:43

快晴、寒風つよし。
Bフレッツに替えたのだが、どうも調子が悪い。
スピードもぜんぜん速くない。
接続料が高くなっただけだ。

息子と娘が小さい頃描いた絵を壁にはってある。
息子が小学3年の時に描いた絵の意味が
昨日の夜見ていてやっと分かった。
家の中が一番ぴりぴりしていた頃だ。
私も感情的になっていた気がする。

不思議なのはこんなにも明瞭なことに
なぜ今日まで気がつかなかったのかということである。
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by nhsmt | 2005-12-19 18:08

冬寒

今日も冬寒
衝動においてなされた行為はいかに奇異に見えたところで、
実は紋切り型にとらえられてしまっている。
その意味では歴史は反復する。
仏教で言えば輪廻転生ということだろうか。

だが、生きるとは時々刻々、死によってそれが切断されるまでまっさらの時間と直面することを余儀なくされているということでもある。
まさに人生とは不断の「崖っぷち」である。
「歴史はつねに現代史である」といったのはトクビルだったか・・・。

崖っぷちの決断が衝動によってではなく「意志」においてなされるとき過去は未来へと解放される。
新たな歴史が創られるのだ。
これを実践することはどれほど困難で勇気のいることか、
しかしこれしか道はないのである。

ここでも私は若者たちに本当に勇気付けられている。
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by nhsmt | 2005-12-12 18:31

曇天

曇天の冬寒
いやな事件が次々に報じられている。
だが、心底びっくりすることはなくなってしまった。
絶望もまた日常化し忘れ去られる。

何かが根底からくずれ去ってしまった。
だがそれは一体何なのか・・・?

高校生の娘が試験中で、その勉強に使っていた「政治経済のデータブック」を眺めていて気がついた。
日本の農業人口のあまりにも急激な減少である。
終戦後の1950年で全人口比で60%だった農業人口が今日ではわずかに3%にすぎない。
その200万人のうち100万人は60歳以上なのだ。

日本の歴史時代は農業をその社会的基盤として成立してきたといっても間違いではなかろう。
すべての上部構造もその上に形成されてきたのだ。
だが事実上それはこの五十年でほぼ完全に崩壊したのである。
農業人口の減少にもかかわらず「村社会」はいろんな形で擬似的に延命してきたのだった。
それに最終的に死を宣告したのがこの間の不況と「小泉クーデター」だったのかもしれない。

柳田国男が売れないわけだ。
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by nhsmt | 2005-12-11 15:26

岳父

このところ病院とホームとを行ったり来たりで芳しくない。
内臓はどれもボロボロで年を越すのは難しいと言われたらしい。
土曜日に見舞いにいくと、
「クソッ、クソッ」ともだえていた。
うんこが出なくて苦しいのだ。
私も先般これを味わったばかりだったが、
なす術とて無くただひたすらぎこちなくおヤジの下腹や腰や大腿をなでまわすばかりであった。
だがこれもなかなか難しい。
あちこちに床擦れができており、これに触れると激痛が走るらしいのだ。
しかして、「クソッ」「イテェ」「クソッ」「イテェ」と格闘すること一時間ばかり。
わが手も少しはつぼを心得たか
いつの間にかおヤジはトロトロとねむりにおちた様子だった。
二時過ぎに介助の人がおむつを取り替えに来た。

うむっ! うんこのにおいだ。

うんこのにおいにみたされて
裸型のいのちふりそそぐ

十二月に入ってから
例の「喪中につき年頭のご挨拶・・・」のはがきが立て続けに4枚きた。
そのうち一枚は58歳、もう一つは59歳だった。
そして、佐賀の一家の「父親に会うの記」である。

私の初老期「鬱」は木っ端みじんに吹き飛んだ。
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by nhsmt | 2005-12-06 22:26