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公の崩壊

昨日2/26、は久々に買い入れで遠出をした。
相当な良もの感触に友人を誘って二人で八王子を7時過ぎに出発、
名古屋は岡崎まで中央高速四時間余。
レーサー並のドライバーにかかるとわがオンボロ4ナンバーもスポーツカーだ。
天気は最高、道路はガラすきで最高のドライブだったが、
買い物は全くのスカ。
数百万の皮算用が高速代と男二人の日当がパアーの散々な結果。
憂さ晴らしに浜名湖でうなぎでも食って帰りは東名をぶっ飛ばそうと言うのが大誤算だった。
この上なく軽快にぶっ飛ばして沼津インターに差しかかると、
ナヌッ!
富士山南東から東伊豆にかけて積雪のため沼津インターから大井松田インターまで通行止めだとォ。
この、年に何度もないような好天に一瞬わが目を疑ったが、その後の顛末はさらに想像を絶するものだった。
止む無く沼津インターから国道246にはきだされたわが悲しきカルディナはスタッドレスを履いていたにもかかわらず、
普通に走れば30分もかからない距離を実に10時間以上かかってやっと脱出したのであった。

このような突然の局所的ドカ雪が何ゆえ発生したのかという気象学的メカニズムに対する興味はともかく、怒り心頭に達したのはこのような突発的事態に対して「公」の対応が全くなされていなかったと言う驚くべき事実である。
唯一なされた公的判断は東名高速の管理者である道路公団による沼津インターと大井松田インター間の通行止めという措置だけであった。
その結果、首都に直結する幹線道路からはきだされた膨大な台数の車両は富士山と伊豆半島にはさまれた実に急峻でタイトな地域で唯一の幹線道路である国道246になだれ込むこととなった。
思いもよらぬ急のドカ雪のなか、積雪に対する装備もない大型トラックから軽乗用車までが一本の道路に集中したらどんなことになるのか。
シベリヤの流刑者の列のごとく降りしきる雪の中、沈黙の車列が延々とつづき、道の傍らには走ることを断念した車たちが屍のごとくに置き去りにされている。

この十数時間の間、「公」的な人間を一度も見ることはなかったし
、この事態に対するいかなる指示、広報ももたらされることはなかった。
国道246の管理者たる国土交通省、地元自治体である静岡県および警察当局などなど。
御殿場警察署の前を通ったがそこは人影もなくひっそりと静まり返っていた。

この国の公的部門は予期せぬ出来事が発生した場合の対応能力も責任の観念も何かをせねばならぬという意志すらも喪失しているのだなと痛感したのであった。

私は明け方の5時にやっと我が家へたどり着いた。

そういえば、私が生まれる11年もまえの2月26日も時ならぬ大雪が東京に降ったのだった。
それは近代日本が暗転するきっかけとなる「暴力」の噴出した日であったのだ。
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by nhsmt | 2005-02-27 17:07

暴力

ライブドア・堀江氏による株買い占めが世間をさわがせている。
企業や株やマネーをめぐる時代の変化を指摘する向きも多いが、
私は少し違った意味で時代の変化を感じている。

このような人物もこのような出来事も歴史上おそらく数え切れないくらい出現しまた発生している。
そして、調べてみるとそれに共通しているのはほとんどすべてが何らかの「暴力」の介入によって結末をむかえているということである。

だが今回は、少なくとも今までのところ「暴力」の気配は全く感じられない。
一つには、事態の推移がマスコミという舞台上で何千万人の注視の中で行われていると言うことがある。
もう一つは、インターネットでこの関連を検索してみるとよくわかるが、
ほとんど無数の意見や情報がおおっぴらに存在し、その気さえあれば誰でもそこに参加できるということがある。
これは歴史上全く新しい事態であり、テレビ局や新聞と言った大マスコミでさえ人々の意識を何らかの方向へ意図的に誘導することがほとんど不可能になってしまったと言うことであろう。
馬鹿な政治家のアドバルーンが全くの逆効果をもたらしているのは実に愉快である。 

今回の出来事がこのまま「暴力」の介入なく推移することをねがうばかりである。
ではなぜこれまで、この種の事件は必ず「暴力」の介入を招いたのか考えてみる必要があろう。
つづく
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by nhsmt | 2005-02-24 18:45

荒野

今朝、スーパーで赤ん坊を殺してしまった事件の記事を読んでいてふと思い出した。

 僕は小学3年生から高校を卒業するまでの10年間ほど母方の祖母の家で生活した。
 父は僕が小学5年生の夏、長い闘病生活の後結核で亡くなったのだが、生活困窮のために祖母のもとに一家で転がり込んでいたわけである。
 実はそこには母の姉がすでに子連れで転がり込んでおり、さらに僕が中学生になった頃には母の妹までもが3人の子とともに転がり込んできたのであった。
 
 それはともかく、祖母の家の敷地は五百坪以上もあり、一部野菜をつくったり鶏を飼ったりなどしていたがほとんどが草ぼうぼうの荒野であった。
 思い出したのは、その一角にぼくの知らない一家が確かに住んでいたな、という事実である。だがその一家について細かいことはほとんど何も憶えていない。何しろそこへ転校してきてから父の亡くなるまでの約2年の間の僕はといえば、年がら年中泣いてばかりの泣き虫だったのだ。逆に、父が死んでからの40年以上の間僕はほとんど泣いた記憶がないのだが・・・。
 この一家はおそらく乞食の一家だったと思う。
 このことについて誰かから、どうしてそんな人を住まわせるのかという抗議めいた忠告を受けた祖母が、非常に怒っていたという話を後になって母から聞いたことがある。

今思えば、確かにあのころはそこここに「荒野」があった。
心の中はむしろ「荒野」だらけだったのだ。

地球上から「辺境」は無くなってしまったのか?
そんなことは無かろう。
みんな気がつかないだけなのだ。

そこここに「荒野」「辺境」「混沌」「意味不明のもの」「役に立たないもの」をつくりだすのは古本屋の特技かもしれない。
その意味で、コクテイル君はなかなかいい仕事をしているな?
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by nhsmt | 2005-02-07 17:49

光の春

わが事務所は北向きながら、眼前に秩父山系から奥多摩の山々がパノラマできる絶好立地。
しかもここは4階で周りには高い建物が存在しない。

春の光にかすむ奥多摩の山々の彼方には富士山までがのぞまれる。
ビル・エヴァンスを聞きながらこんなところで仕事をしていると時代の喧騒が嘘のようだ。

そういえば二三日前に豆まきをやったっけ、
光の春・・・・・。
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by nhsmt | 2005-02-05 15:52