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長嶋ジャパンー2

ブログを散策していたら、「長嶋ジャパン」に疑問をていしているものが結構あったので少し安心した。
だが、[長嶋ジャパン」がなぜ違和感をあたえるのかについてはもっと真剣に考えてみた方が良いと思う。
サッカーの日本代表である「トルシエジャパン」や「ジーコジャパン」は外人であっても実際に指揮を執っている監督の名前を冠しているのだから批判はあったとしても違和感はない。
「長嶋ジャパン」があたえる違和感は実際に指揮をとっているのが中畑なのに形式上の監督を入院中の長嶋にするという政治的操作が行われたことに由来する。
戦う集団における指揮権と責任についてのこのようなごまかしがどのような結果を招くかは太平洋戦争を知っている人には分かっているはずである。
形式上の統帥権は天皇にあったが実際に戦争を指導したのは陸軍である。
そして、陸軍も中畑も無能であった。
このような政治的操作が行われたのは「星野ジャパン」や「何々ジャパン」ができることを受け入れたくないという意志が働いた結果であろう。
私はこの意志の是非を問題にするつもりはない。
驚くべきは、長嶋の国民的人気を利用したこのような稚拙な政治的操作がいとも簡単に実現し、なおかつ全てのマスメディアが無批判に「長嶋ジャパン」を連呼し続けたことである。
敗北の責任が問題なのではない、事態の推移がかもし出す違和感にもっと敏感でなければならないということである。
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by nhsmt | 2004-08-27 19:07

古本の価格

人間が文字を発明して以来の書かれたものをすべて古本と考えるととてつもなく膨大になりますが、
私はその一点一点が一つの商品アイテムであると考えております。
たとえ同じ本であってもそれが売られ消費されることによってそれぞれに独自の時間(歴史)を内包することになるからです。
古本(あるいはあらゆる古いもの)の魅力の源泉はここにあります。

供給曲線と需要曲線の交点に価格を求める方法は大量生産・大量消費(あるいは商品の再生産)を前提にしており希少性という概念もその範疇でのこととおもいます。
一見対照的におもえる最近流行の「ディスカウント」や「ブランド化」も結局この範疇に包摂される。

しかし古いものに内包された時間は決して再生産することはできない。
希少性の極限に固有性があるわけではない。
これは別のものだ、経済学的にあるいは数学的にこれを表現するとどうなるのだろう?
固有なものに価格などどうやってつけるのか?
まして適正価格なんてものがあるはずも無いのだが、われわれは平気で勝手な値段をつけて売ったり買ったりしているのである。
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by nhsmt | 2004-08-27 17:10

長島ジャパン

「長島ジャパン」なる名称にマスコミ上で誰一人疑義を提起しなかったというのは実に不可解だ。
金子光晴の「絶望の精神史」が思い浮かんだほどである。
太平洋戦争へと日本を駆り立てた精神風土がそっくりそのまま存続しているということではないのか・・・?
一度目は悲劇、二度目は喜劇、三度目は茶番と誰かが言ったが、まさしく茶番以下だった。
感じた違和感を忘れてしまわないほどには己の感性に自信をもたねばなるまい!
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by nhsmt | 2004-08-25 08:47