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6月

妙な5月が行ったらいきなり梅雨がやってきた。
つゆのひぬまと言うのか今日は好天だったが日曜からはまた雨のようだ。

世田谷美術館の横尾忠則展を区教育委員会がその小学生対象「美術鑑賞教室」から土壇場ではずしたと言う記事が朝日の朝刊都内版にあった。
ドタキャンの理由は作品の中に少年がナイフを持って胸から血を流しているなどといった暴力表現が見られるからだと言うことらしい。
数日前に、ちょうど娘がこの展覧会で横尾氏と某教授のトークショウを聞いており、それを私は又聞きしていたのだが
横尾氏の
暴力表現がいけないのだったら、手や足に釘をうたれて磔になったキリストの十字架はどうなんでしょうかね?
と言う言葉に会場が大いに盛り上がったという。
なるほどキリストの十字架は究極の暴力表現に違いない。

一月ほど前、娘がまだ保育園に通っていたころ同い年の園生だった女の子が去年自死していたことを知った。
私もよく保育園の送り迎えをしていたので目のくりくりした愛らしい顔を今でもはっきりと思い出すことができる。
中学に入ったころから学校へ行かなくなったという話を何年も前に聞いたことがあったが・・・。

それから四五日、私はバッハのマタイ受難曲をずっと聞くしかなかった。
十年ばかり前から、考えることができずどうしてよいのかわからなくなるとマタイ受難曲を聴いてきた、そうすると少しだけ落ち着きを取り戻すことができるのだ。
すべての人間の原罪を一身に引き受けてみずから磔となることによってすべての人々に救済をもたらす。
この奇怪なロジックのリアリティが実感できるような気がして来る。
生き残ったものが生き続けるためには暴力を救済へと逆転する宗教的ロジックによるしかないのか?
問題の根源が学校や教育にあるのではないことは明らかである。
社会それ自体が暴力を醸成し再生産し拡大しているのだ。
いつの間にか人と人との関係性それ自体に暴力が遍在してしっまっているのだ。
芸術家や子供たちはそのことを直裁に先鋭に感じ取ってきたのである。
by nhsmt | 2008-06-07 00:12
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