のらぼうを食べたのは青梅に住むようになってからのことだが、
こいつはまったく春を食っているような気分にさせてくれる。 蕗の煮物、ふきのとうを味噌であえたもの、のらぼうや菜の花のおひたし、グリーンピースご飯などなど、そのうち竹の子もでてくるだろう。 桜は先日の暴風雨でだいぶ散ってしまったが菜の花や土の香りで 野や山や世界はやたらに春になりにけるかもなのである。 丸山真男の「歴史意識の古層」という小論を読む。 「つくる」「うむ」「なる」という三つの基本動詞の視点から 記紀の創世神話の基底に「なる」という自動詞が一つの通低音としてあるという。 そこに日本的なるものを見出そうとしているようなのだ。 キリスト教やら中国の古典などと比較しながら論を進めているのだが あまり成功していないように僕には思える。 歴史というものは遡れば遡るほど系統樹の幹のようにしだいに幹の数は少なくなり やがて一本の太い幹になる。 歴史を遡行することによって民族のオリジナリティにいたるというのはそれ自体が歴史的物語なのではあるまいか? ユダヤ教神秘主義者のブーバーに「われと汝」というのがある。 彼は「われとなんじ」と「われとそれ」は根源語であるという。 世界そして存在は「われとなんじ」という関係において一挙に出現する。 やがて「なんじ」という認識が生じ最後に「われ」が成立する。 すなわち、世に自意識ほどたよりないものはないということになる。 記紀の創世神話における「なる」はブーバーの「われとなんじ」という関係の成立と同じなのではなかろうか? 存在と世界の成立は自動詞としてしかありえないのである。
by nhsmt
| 2008-04-12 18:02
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