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イニシエーション

晩飯を喰っていたら
女房が高校生の娘のリストカットを発見した。
昨秋から何度もやっていたらしい。
自殺を連想してしまうが、どうもそんなものではないようだ。

女房は「結果には原因がある」という説を譲らず
二晩「話し合い」が行われたのであった。
夜っぴて話をするのも悪くは無い、楽しくさえある。
だが、原因が分かったとはとても思えない。

娘は具体的なことはなにひとつしゃべらず
ときおり抽象的な単語を発するばかりであったが
「修行」と一言いってポロッと泣いたのが印象に残った。

確かにいろんなことがあるんだろうが
私にはとても「原因」だとも「結果」だとも思えなかった。
どだい人生が原因と結果の集積などであるはずはないのだ。
そんなことならなにも苦しむことはなかろう。
自然科学の実験のように淡々と進むばかりだ。
壁を越えようとするから、
因果の連鎖を断とうとするから苦しいのだ。

のっぺらぼうな連続した時間を生き続けることができぬ場合がある。
少なくとも子供から大人になる時期と死へ向かって歩み始める時と・・・。
「死と再生」のテーマがいろいろな所ででてくるのはそのためであろう。
無謀な闘いにのりだすにしろ、
あるがままをひきうけるにしろ
それを可能にするためにはある「切断」が必要だとひとびとは考えてきたのだ。
出家したり、
彼岸を夢見たり、
通過儀礼として制度化さえされてきたのだった。

だが、豊かさのためか「自我」のアイデンティティ神話のゆえか
人は途方も無い連続した時間の重荷を背負い込んでしまったかのようだ。
「切断」を実現するのもたやすいことではなかろうが
永遠に連続した時間を生かされるよりはましであろう。
by nhsmt | 2006-03-11 14:37
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