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小沢裁判の判決が出た。
主文-無罪、中身-真っ黒 大津事件の判事のような日本人がまだいるかもしれんなどと少しだけ考えたのはアホだった。 経済学者の安冨歩という東大教授の「原発危機と東大話法」という本が超絶オモロイ。 すべてツイッターで知ったのだ。
マックス・ウェーバーの一束をパラパラ検分しながら値段付けをしていたらば、
「音楽社会学」の後ろのほうに千円札が2枚挟まっておわした・・・ラッキー! ウェーバーさんそして旧蔵者さんありがとう。 何でそんなに嬉しいか、いい年さらしてアサマシイ。 ところで今日、税務署に消費税を払いに行った。 赤字申告で所得税はゼロなのに売り上げがあれば消費税はとられるのだ。 とりやすいところからとる、安定財源だなホンマに。 納税窓口で私のすぐ前に私から見ても貧乏たらしい汚い紙袋をさげたよれよれのジーパンの兄ちゃんが並んでいた。 なんとこの兄ちゃんその紙袋から百万円の束を6束と数十万の万札を取り出していきなり窓口にドンと積み上げたのだ。 冷酷無比の税務署員もあたふたしていたから尋常ならざる事態に違いない。 兄ちゃんがどういう人物なのか私には想像もつかないが、必死で札を数える署員をまえにあたりに痛快を発散しておった。
自転車でズブヌレ
桜の蕾はパンパン 梅は満開 竹やぶで鶯 遠くの山はふっくら 春がいっぺんにやってきたな 北国みたいだ
仕事帰り
快晴の西の空に三日月と二つの惑星が立てにきれいに一列に並んでおった。 金星・月・木星か? 昨日、東北より帰還す。 たまたま出合った人が皆よい人だった。
ツイッターに呆けて、正月以来のブログ覗きだ。
3月11日は女房の実家で義父母の七回忌と三回忌の法事があった。 三陸を襲った大津波の映像を見るたびに女房の父とその父(祖父)の事を思う。 昭和22年9月15日、結納を終えたばかりの父の一家は新居となるはずだった新築したばかりの家もろともキャスリーン台風の豪雨で発生した利根川の鉄砲水で濁流に流されてしまったのだ。 母と弟と妹を亡くし父(祖父)と長男(父)とが生き残ったのだった。 三人はその後ずっと下流で発見されたのだという。 濁流に流されながら「兄さーん」といった弟の声が耳の底にこびりついて離れないのだと酒を飲みながら聞いたことがある。 父は大酒のみだったが最後に沈没する直前にいつも決まって「たまにゃ、けへるぞ!」という謎の言葉を叫ぶのだった。 家の者たちは「内に居るのに何処に帰るんかね?」と訝しがっていたのだが、 亡くなる前の晩に好きだったエノケンの歌を耳元で歌いながら一人で付き添っていた女房がその事を聞いたらば、「こころのやすまるところだよ」と父がそれだけ言ったらしい。 私は昭和22年の10月生まれだから鉄砲水が出たのはその一月前の出来事である。 日本だけで300万人もの人々が亡くなった戦争が終わってまだ2年後のことだ。 義父が亡くなった後で、居室を片付けていた女房の弟(長男)が仏壇の後ろに挟まっていた祖父の「九死一生記」という書き物を発見した。 祖父は若いころから日記を絶やさず書く人で大学ノートに何十冊もの日記があったらしいのだが女房が大学生のときに帰省したおりにあの日記が欲しいと云ったら、もう燃やしてしまったと答えたという。 「九死一生記」だけは燃やされずに残ったのだ。 祖父は昭和天皇より三歳年長で天皇と同じ日に92才で亡くなった。 ちょっと長いが全文を打ち込んだ。 九死一生記 昭和二十二年九月十五日 宵より降出した剛雨はラジオの警報も適中して、台風は時速四五米(ママ)で相模湾より上陸、関東地区に坪七石余の前例のない大雨を閑断なく午后四時すぎまで振り続けた。四時ごろとなると天上にすごいうなりが生じて竜巻かと思われた。雨は益々激しくなり野水は田畑に充満して道路は全部川水と化し、どこが道やら水々の充満で判らぬ様になった。夕食をはやめに喫して母と長女が俵を持って屋外に出て野水の侵入を防ごうとした。そこへ近所の青年二人が来て、今裏の利三郎さんの家は床上浸水で前の家方へ避難したと、ではこちらはどうかと問ふたらここは大丈夫だと申したので安心した(ソレガ悪カッタ)。しかし母娘は警戒に出る用意の着替えや金円入の風呂敷包を持ち出した。そのとき北の方に当ってB29数百機が低空飛行で来る様な異怪な音響が聞へた。 十三才になる昇が「アレ水が」とド鳴った。私は床の上より突差に井戸の方向に目をやった。汚水が井戸を越して勝手の壁を破った。アッソレーと家中西に逃れた。昇が旧家に飛び込んだ。私も続いて入らんとした。モー新家は北からも浸水してマタタクマニつぶれた。水が天上にに満ちて浮んで流れ出した。旧家の横屋根にすがって流れる、旧家の中の昇の安否が心配でならぬ。南に当って大声が聞こゆる。振り向と十数間南西のドトーのさかまく波の中に母と娘が母は首だけ娘は胸まで出して、最后のオ父サンオ父サンと声をかぎりの病父を救わん一念の悲痛な声であった。だが、私はそれに対する返事が出来なかった、旧家の中の倅を助けなければならなかったから。寸時、私のつかまって居た旧家がガラガラと細かくくずれてしまった。中に倅の姿は見られなかった。振り向くと母と娘の姿も見られぬ。一面の悪鬼ドトーのさかまくしゅらと化して物すごいこと言語に絶した。長男の姿は初めより認られなかった。暴水は家と石と立木と農作物を混合しさながら大建築場のコンクリート機の拡大した様な一面のドトーの大河と化しうなりを生じてわが身を一呑みにせんぎょう想のみ。アア私の頭は只だ死あるのみ。この病上の体がこの汚水に浸って若し助命したとて、何人の将来にのぞみあらん又病再発は必須、病苦者、誰が看護に万一妻子が助るは当然だが私が生くべきでない。妻子四名全滅の中に自分のみ生残ってこの世に何人の楽みやあろう。死々々・・・死より他に己の行くべき途はないのだと合掌してお題目を唱へ体を丸めて見渡す限りの流木、流石、流砂等々の混土水さながら地獄のまき絵に見る様な真只中に向って、体をふせて暴神のなすがままにまかせて汚水を丸呑みにしながら流れた。口一杯含む度に早くあの世へ、早かれと合掌を固くした。死水呑む苦しい。大木大石にところきらわず打たれるも苦しい。死ほど苦しいものはない。この世とあの世の境は苦々々であるか。早く早くともがくほど苦痛は増すようだ。しかし生きる望は絶たれて居る。又万一生き返れば孤独の老身又々この世の惨苦を味ねばならぬ。今をいっして何時この機あらんと又もお題目を唱へて思い切って汚水を呑む。苦々アッ、十数丈のだんがいの瀑布より落下した痛い苦しい。アッ、又十数尺の瀑布にかヽった様だ、落下して居るようだが、今度は楽だ。その后・・・不明、意識ない・・・悪寒を感じた、ふるえる。合掌の指をはずした立って見た。立てた。夢か現か左右の手で目をこすった。左の目は土砂が一杯で盛上がっている、右目をこすった見へる様だ。又さすった顔面痛い。こすって居る中にかすかに見へて来た。桑の木に引かヽった。四方を見つめた。広い広い海原の孤島の中、楽に立てた。桑にすがって一歩歩いた。歩ける。だが悪寒で、全身のふるへが止まぬ。だが現実の身の様なので流れるように水と桑にまかせて歩む中一条の道路に出た。遠く南の方に屋根のみ出した家が五六軒見へた。又北の方の山のふもとに、これも屋根のみ出した家が点々と列して居るのが見へた。私は考へた、ここは埼玉県のちヽぶ山下かと。ちヽぶのふもとまで来たか、よく助かった随分命に運の強いものだと自分の手で自分の顔をなぜて見た。そのとき私の心の端に生きたい心が起きて来た。そこへ一人のミノを着た人が飛んできた。救を求めたが顔を見ただけでカケ去った。又来た、助けを愛訴した、只だ驚きの素振りで立ち去った。化物と見たか助けてくれぬ。ナサケナイ助ケテクレル人ハ来ナイカト心デモガイタ。悪寒は五臓のしんまでとうて今にも倒れそうである。心臓が止まった様だ。ホーとなって路上に倒れた。すこしして又気がツイた。苦痛をしのんで山下の家の方を眺めた。くさぶきの大きな家の前に一人立って当方を見て居る様だ。手を挙げて救を求めた。家の中から五六人ぞろぞろと出て来た様だ。手を挙げてまねく様な気がした。私は勇気を出してその家を目的に田圃よろよろしながら稲穂にスガリ這い附けた。皆集って私を珍しく見守った。私は名のった「水のため流れて来ました、助けて下さい」と申すと、アヽ市郎さんの弟かここは川端だから心配しないでこちらへ来な。それでは真壁から出た兄さんか。そ、そうです。そんなら尚さら安心して居な。それ火をたいて暖めてやりなと桑木を沢山積んでドーと私の全身をあたためて呉れた。埼玉県と思ったここは隣村の川端でしかも親類と聞いて、アヽ何かの因念だと合掌した。これなら助るかと安ど感が起きてきた。体が暖ってきた、呑んだ水が胸まで一杯で気持ちが悪かった。左の目が痛くてたへられぬ程であった。お祖母さんとオカミサンが交代に慰めてくれた。親切に命をとりとめて貰ふのは有がたいが只家族四人の事を思ふと、自分のみ生きてどうする、生きはじさらす様なものだ、死んだ方がよいのかも知れぬと心が生死五分五分で迷ふた。救はれた後悔にも思われて心が苦しかったでも生きたい気はあった。そこへ二三人這って来た、東原の人が一人助って来たと云ふので私は後を振り返って見た。そしたらオ父さんかと云ふ倅晃の声であった。フウンよく助かったなーと驚き又喜んだ。モー生きたい心で一杯だった。無中で前の方へのめり出して暖をとった。まるで生魚を串にした焼魚の様で炎が頭、胸、腹、脚をじりじり暖めてくれた。体中ほてって来た。涙が止どなく出て情で一杯になった。母と娘は駄目だろうが二男の昇のことが気になって猪の坊はどうしたと問ふた。 知らぬと云ふので、では他は全部駄目か運命だが可愛想である。晃は助ったか父一人子一人この川端の角サンの家で救はれたのがありがたかった。力になるお前はよく助った、おれもこの様に助ったお礼を言ふてくれと合掌した。主人がウンナニ、オ父サンと倅サンが助るとは神の引合せだモー大丈夫だから安心して力強くなりなと勢をつけて呉れた。人を助けるに親実心を以って心から慰めて呉れるこの家の一同がうれしくて心を打たれた。そこへ原の秀雄が来て呉れた。引取に来たのだが私の体が衰弱して居るので一夜泊めてもらった。父と子が枕を並べて一つふとんにねた。 左の目が痛むのでまんじりとも出来なかった。苦痛の内に一夜があけた。秀雄と新宅の兄さんが迎ひに来た。袷としゃつ、半ずぼんを戴いて秀雄の背に負はれて本家へ帰った。途中昨夜の暴水害の跡を見た。惨憺たる洪水のあと、家族三人はどこにどうして居るか、死か生か心はちぢに乱れた。その他の方の被害も聞たかった。左の目は錐でさされる苦痛、午后になって佐々木医師が手当てに来た。頭が痛む。晃は学校へ用達に行って来て横腹と脚が痛むと床に入る。 十九日親類の世話で前橋医専病院外科室へ入院した。丸裸となった私父子は本家国領真壁の世話で病院生活が安心して出来た。二十七日レントゲン検査をしたが異常ない様でこの分では九死に一生を得た様である。 被害者十五軒八十名、死者五十四名
明けましておめでとうございます。
今年もよろしく。 ホロ酔いで仕事をしていたら、ゆさゆさがやってきた。 四階の事務所はことのほかよく揺れる。 今年は面白いことがいっぱい起こりそうな予感がするのである。
ゆず湯に入り
一番長い夜を抱きしめて寝るのだ 過ぎ去った時を惜しむな まんじりともせず他者への意志を握りしめていろ やがてまたありふれた朝がやってくる だが昨日とは違う朝なのだ
昨日は初雪
今朝はオンボロワゴンのフロントガラスがぱきんぱきんに凍っていたぜ 今日から冬だ! それからもうひとつ 「国」というコトバを使わないで考える訓練をしてみよう。 多分、みんなやってるんだろうけど・・・?
老人ばかりの高円寺市会大市がようやく終わる。
さすがに今年はくたびれた。 市場の仕事は99パーセント肉体労働。 みんなヨレヨレなのだが、口だけは異様にハイテンション、 だから若いもんが寄って来ない。 と言うわけで滅亡まっしぐら、 将来展望まるでなし、 それでも楽しくやっているから不思議なもんだ。
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